落合陽一 天才

落合陽一 天才の言葉をヒントに日本人が慣れてない議論について考えてみる

議論という習慣があまりない日本人

海外の学校の授業を見てみると答えが1つだけではない問題提起に対して、

多くの学生が自分の意見を何の遠慮もなく手を上げて述べているのが見られる。

それに比べて日本では同じ場面であっても積極的に議論を出しあう事は見られない。

なぜ、日本と海外でこのような違いがあるのかを落合氏の言葉をヒントに考えてみたい。

自分と違う意見は批判されていることではない

「自分の意見に対する質問や別の意見は(中略)意見のサンプリングだと思う考えれば良いのです」(落合陽一 著 ゼロヒャク教科書)

ディスカッションをする時に自分の意見と異なる意見に対して、

自分の事を批判しているのではないかと感じてしまうことが、日本人には多いのでないだろうか。

その理由を落合氏は「正解」「不正解」の2つに重きを置いた学校教育が原因かだと言っている。

自分と違う意見を聞いた時に、自分と違う意見を聞けてそういう意見に気づけたと感じるのか、

自分の事を攻撃してくる敵として感じてしまうのかでは、

ディスカッションの質そのものがまるっきり変わる。

少しでもいいから、そこの意識を変えていくことが必要になるのではないかと思う。

自分の考えを掘り起こして何らかの意見を出そうとする意識が大事

ある一定の人が集まった集会やミーティングで質問を求められても、

日本人の多くの人は手を挙げることはせず、傍観者になる人が多い。

これに比べると海外の人達は積極的に手を挙げて自分が思っている言葉を、

何か1つでも絞り出そうとする姿勢がある。

このような意識を日本人も持つことで物事に対して思考停止することなく、

しっかりと思考するという習慣が身につくのではないかと思う。